大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和25年(ワ)4520号 判決

原告(反訴被告) 亡池田浜 相続財産

被告(反訴原告) 又来豊作

主文

亡池田浜が昭和二十一年四月三十日自筆証書によつてなしたるものとして昭和二十五年五月十一日東京家庭裁判所で検認を受けた遺言の無効であることを確認する。

反訴原告(被告)の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は本訴反訴とも被告(反訴原告)の負担とする。

事実

原告(反訴被告、以下単に原告と称する)訴訟代理人は、本訴につき、請求の趣旨として、主文第一項同旨及び本訴訴訟費用は被告(反訴原告、以下単に被告と称する)の負担とする、との判決を求め、その請求原因として、

一、亡池田浜は相続人となるべき直系の卑族、尊族、及び兄弟姉妹、並びに配偶者のいない独身者であつたが、昭和二十五年一月七日被告方に同居中死亡した。

二、亡池田浜は生存中である昭和二十一年四月三十日被告方において自筆証書による遺言をなし、被告は亡池田浜からその遺言書の保管を託されていると称して昭和二十五年五月十一日東京家庭裁判所で遺言書の検認を受けた。

三、右の遺言書と称する書面(乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面)によれば、亡池田浜はその所有財産全部を被告に贈与する趣旨のものと判読できないでもない。しかしながら、亡池田浜が自筆証書によつてなしたという右の遺言は次のごとき理由によつて無効である。即ち、

(一)  右の遺言書と称する書面(乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面)は亡池田浜の自書したものでないから自筆証書とはいえない。

(イ)この書面が作成されたという昭和二十一年四月三十日当時亡池田浜は脳溢血で倒れた一ケ月ばかり後の頃で右側半身不随となり、文字を自書する機能を全然喪失していたときであつたから、遺言を為す能力はあつたとしても自筆証書を作成するというがごときことは到底でき得ない状態であつた。右の遺言書と称する書面は亡池田浜の自書したものではなく、何人かが勝手に作成したものである。(ロ)一般に、右手書きの者が左手で文字を書く場合、右手で書くときと同様やはり右向きの文字を書くのが習慣であると考えられるのに、右の遺言書と称する書面は大部分が左向きの文字で記載されている。これは何人かがことさらに左手書きらしく見せかけるために作為したものであり、しかも、左向きの文字の中に右向きの文字が混つているのは一般にこの習慣を抑圧した結果であることの証左である。(ハ)のみならず、亡池田浜には東京都内に居住している従兄弟の訴外池田重雄がおり、亡池田浜は生前その財産処理についてはすべて同訴外人と相談したうえで決定していたにも拘らず、全財産を被告に贈与する、という右のごとき遺言をなすについて同訴外人は一言の相談をも受けなかつた。(ニ)亡池田浜の所有財産は、不動産だけでも別紙物件目録〈省略〉に記載しているとおりの宅地八筆合計二千二百四十五坪六合四勺(実測二千二百二十四坪六合四勺)があり、これに相当額に上る動産を加えると実に莫大な資産である。この資産を亡池田浜は終戦直前ごろから出入するようになつた一介の植木職人にすぎない被告に、しかも、同居中折合が必ずしも円満でなかつた被告に対して贈与するというがごときことは考えられない。

(二)  自筆証言による遺言書というがためには、遺言者が一人でその全文、日附及び氏名のすべてを自書しなければならない。しかるに、右の遺言書と称する書面の中の「月日」及び遺言者の「氏名」と見られる部分とその他の部分とは、筆勢運筆において差異があり、同一人の手に成つたものとは認め難く、右の遺言書と称する書面はこの点からしても自筆証書としては無効である。

(三)  仮に、右の遺言書と称する書面が亡池田浜によつて自書せられたものであるとしても、次の二点において自筆証書としての法定の要件を欠いているから無効である。

(イ)  第一点は、右の遺言書と称する書面に表示せられている墨痕は文字とはいい難い。少くとも「月日」及び遺言者の「氏名」と見られる部分は文字とはいえない。速記用文字や点字の類はしばらく措くとして、いやしくも普通の文字を使用して記載する場合には通常人が一見よく読了し得る程度に明確に記載されていなければ文字ということはできない。

(ロ)  第二点は、仮に文字であるといい得るとしても、右の書面には遺言書作成の日附を欠いている。即ち、自筆証書による遺言書に記載することを要求されている日附とは「年」及び「月日」をいう。しかるに右の書面には「月日」として「四月卅日」と記載されていることが判読できるとしても「年」の記載が全然ない。その他の文意からも「年」を推知せしめるような記載もない。

四、よつて、亡池田浜が昭和二十一年四月三十日自筆証書によつてなしたものとして昭和二十五年五月十一日東京家庭裁判所で検認を受けた遺言の無効であることの確認を求めるため本訴請求に及んだ次第である。

と述べ、被告の本案前の抗弁に対し、

被告が昭和二十五年五月十一日東京家庭裁判所において、亡池田浜の遺言書(乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面)の検認を受けた事実は認める。しかしながら、遺言書の検認は、単に遺言の執行前において遺言書の形式その他の状態を調査確認し、後日における偽造、変造を防止し、且つ保存を確実ならしめる目的に出でた一種の検証手続にすぎない。即ち、検認手続は遺言書内容の真否、その効力の有無等遺言書の実体上の効力を判断するものではなく、検認を経た遺言書につきその無効を主張することは何等妨げなきところである。被告の主張は遺言書の検認手続の効果を誤解し、検認を受けた遺言書はその記載内容まで真実、有効なものと確認されたものであることを前提として種々陳述しているが、それは全く理由がない。

と陳述し、

反訴に対し、主文第二項同旨及び反訴訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、答弁として、

亡池田浜と被告との間に昭和二十一年四月三十日被告主張のような内容の死因贈与契約が成立したとの事実は否認する。

と述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、本訴につき、本案前の抗弁として、

亡谷口栄蔵は亡池田浜の相続財産管理人として昭和二十五年八月八日相続財産法人を代表して本訴を提起した。亡池田浜は相続人となるべき直系の卑族、尊族、及び兄弟姉妹、並びに配偶者のない独身者であつたことは後述のとおりであるが、しかし、被告は昭和二十一年四月三十日附の亡池田浜の自筆証書による遺言書(乙第一号の二「ヤクソク状」と題する書面)によつて同人の所有財産全部の包括遺贈を受けたもので、被告は右の遺言書の保管者として昭和二十五年四月東京家庭裁判所に同庁昭和二十五年家第三三六七号遺言書検認申立事件を申立て、同年五月十一日同家庭裁判所において検認を受けた。したがつて、このとき以降被告が相続人と同一の権利義務を有する包括受遺者であることが明かになつたのであるから、これは民法第九百五十五条にいう「相続人のあることが明かになつたとき」に該当し、その結果、亡池田浜の相続財産法人は存立しなかつたものとみなされるわけである。また、被告は同年八月二十六日附内容証明郵便をもつて右谷口栄蔵に対し、被告が包括受遺者であることを告げ相続財産の引渡請求の通告をしたのであるから、これまた同法第九百五十六条の規定により、右谷口栄蔵の代理権は消滅したのである。従つて右谷口栄蔵が亡池田浜の相続財産管理人として提起した本訴は、結局権限なくしてなした不適法な訴というべきであるから、この点において却下せらるべきである。

と述べ、本案につき、原告の請求はこれを棄却する、との判決を求め、答弁として、

一、原告の本訴請求原因として主張している事実のうち、

(一)  第一、第二項の事実はいずれも認める。

(二)  第三項の(一)につき、亡池田浜が自筆証書(乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面)によつてなした遺言は有効であつて、この遺言書は亡池田浜が昭和二十一年四月三十日左手で自書した有効な自筆証書である。即ち(イ) 右の遺言書作成当時亡池田浜は脳溢血で倒れた一ケ月ばかり後の頃で右側半身不随の状態であつたことは認めるが、しかし、そのため文字を自書する機能を全然喪失していたとの事実は否認する。亡池田浜は右手書きができなかつたゝめ左手で右の遺言書を自書したもので、何人かが勝手に作成したというがごときものではない。(ロ) 右の遺言書は大部分が左向きの文字で記載されていることは認めるが、しかし、右手書きの者がふなれな左手で文字を書くときは、原告の主張とは反対、むしろ右向き文字よりも左向き文字に書くのが便利であることは実験則上明かである。また、その中に右向きらしき一字があるというも左手の運筆に馴れない者にとつては免れ難き過誤である。(ハ) 次に、亡池田浜には東京都内に居住する従兄弟訴外池田重雄がいることは認めるが、同訴外人が亡池田浜から生前その財産処理についてすべて相談を受けていたことは否認する。(ニ)亡池田浜は生前原告主張のごとき不動産を所有していたことは認めるが、相当額の動産をも所有していたとの点は否認する。また、被告が亡池田浜方に出入していた植木職人であることは認めるが、出入していた期間及び交渉の程度に関する原告の主張は否認する。

この点についての被告の主張事実は後記のとおりである。

(三)  同項の(二)の事実は否認する。

(四)  同項の(三)の(イ)につき、年令六十に近い亡池田浜がふなれな左手で右の遺言書を書いたのであるから字体が活字的整正を欠くうらみがあるけれども、しかし、右向きの文字を書くか左向きの文字を書くかは筆者の自由であり、左右方向如何によつて文字でないとは云えず、また法律もこれを規制していない。

(五)  同項の(三)の(ロ)につき、右の遺言書に作成の日附として「年」が特記されていないことは認める。しかし、民法第九百六十八条にいう「日附」とは必ずしも「年」及び「月日」を明記することを要求している趣旨とは解されない。一般に、法律が作成文書に年月日を記載せしめんとするときは特に「作成の年月日」「振出の年月日」等の語句を用いて法文に明記するのを常例とする。しかるに民法第九百六十八条は単に「日附」という文詞を使用したに止まるのは、遺言書に「年」及び「月日」を明記しなくても日附と目すべき字句があれば可とする意に解するを相当とする。遺言書作成の年月日を明かならしむることは別途証明の方法があるからその目的を達することは至難ではない。殊に右の遺言書には日附として「四月卅日」なる記載があつて、「年」を欠くとはいえ、日附として重要な部分である「月日」の記載がある以上この一点をもつて無効とすることはその当を得ないものと信ずる。元来自筆証書による遺言書に日附を記載せしめる日的は、一面偽造を防ぎ、他面遺言者の行為能力及びその後の行為によつて遺言が取消されたことがないかどうかを明かにせんとする趣旨に出たものであつて、本件の如く、別途東京家庭裁判所において遺言書の検認を経たるものにあつてはその有効性については一点の疑いのないものである。しかのみならず、自筆証書による遺言書はその性質上多くは遺言者の死の直前又は危急変災時に作成され、しかも作成者は法律の専門家でないことが多いのであるから、遺言書の方式において多少の欠陥があつたとしても、徒らにこれを無効とすることなく、その正確性を害せざる範囲においてその効力を維持せしめることが遺言者の真意に副い且つ私権保護の精神に合致するものと信ずる。

二、亡池田浜と被告との交渉の期間及び程度、並びに亡池田浜が右の遺言書(乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面)を作成して被告に交付するに至つた事情経緯は次のごとくである。即ち、被告は昭和五年に植木職人として亡池田浜方に出入するようになり、その後長年月交渉を重ねているうち相互の性格の理解もでき漸次被告は信頼を得るようになり、単なる植木職人としての関係に止まらず、家事の相談や家政上の代理行為まで頼まれるほどになつた。ところが亡池田浜は昭和二十年三月十五日戦災に遭い居宅と家財を全部焼失してしまつたのでその翌日から被告方に同居するようになり、そのときから引続き昭和二十五年一月七日死亡するに至るまで同居していたものである。同居を始めた当初は都内の大半は焼野原と化し食、住、衣等の生活必需品は極度に不足し人心は混乱を極めていたときであり、加えるに亡池田浜は年来孤独な生活を続けており年歯漸く老境に入つた折でもあつたので被告方における同居生活は少なからず安心感を与えたと共に、被告の一家を挙げての誠実なる待遇は亡池田浜をして骨肉の感を抱かしめるに至り、亡池田浜はつねづね被告に対して「万一のことがあつたらよろしく頼む」財産は「全部被告にあげる」と言明していた。とかくしているうち、亡池田浜は昭和二十一年四月一日脳溢血で倒れ、その後半月ばかりで快方に向つたとはいえ、右側半身不随の状態になつてしまつたので、被告の一家は挙げてその看病と介抱に没頭し両便の世話から諸事万端すべての世話を尽してきた。そこで亡池田浜は被告一家のこの誠実と労苦に酬いるため日頃の口約束を果そうと考え、被告に宛てゝ同年四月三十日右の遺言書を作成し、「ヤクソク状」と題し「モシヤノトキハバンヂタノム、ザイサンゼンブアゲマス」(若しやのときは万事頼む、財産全部あげます)と記載し被告に保管を依頼するに至つたものである。

と述べ、

反訴につき請求の趣旨として、原告は被告と亡池田浜との間に昭和二十一年四月三十日亡池田浜所有に係る別紙物件目録記載の宅地につき死因贈与契約の成立したことを確認する、反訴訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、その請求原因として、仮に亡池田浜が昭和二十一年四月三十日自筆証書(乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面)によつてなした遺言が無効であるとすれば、このとき被告と亡池田浜との間に亡池田浜所有の別紙物件目録記載の宅地八筆合計二千二百四十五坪六合四勺(実測二千二百二十四坪六合四勺)につき(その他の財産については請求をしない)書面による死因贈与契約が成立し、被告はそれを承諾して右の書面を保管していたものであるから、その贈与契約の確認を求めるため反訴請求に及んだ次第である。

と述べた。〈立証省略〉

理由

一、被告(反訴原告、以下単に被告と称する)の本訴に対する本案前の抗弁について

被告の本訴に対する本案前の抗弁は、要するに、被告は昭和二十五年五月十一日東京家庭裁判所において亡池田浜の遺言書(乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面)の検認を受けたから、その記載内容は真実有効なものと確定され、その結果被告が亡池田浜の財産の包括受遺者であることが明かになつたこと、及び包括受遺者は民法第九百五十五条、第九百五十六条にいう「相続人」と解すべきであることを前提とし、被告が包括受遺者であることが判明した後に亡谷口栄蔵が亡池田浜の相続財産管理人として提起した本訴は不適法な訴であるというに帰着する。しかしながら、民法第九百五十五条、第九百五十六条にいう相続人とは同法で相続人として定められている被相続人の直系卑族、尊族及び兄弟姉妹、並びに配偶者を指称するのであつて、包括受遺者をも包含する趣旨のものとは解せられない。けだし、同法第九百九十条が包括受遺者を相続人と同一の権利義務を有するものと規定しているのは、包括受遺者は相続財産の全部又は抽象的に定められた一定の割合を承継するものであるため、その地位は相続人に酷似しているところから、死亡者の財産に対する権利義務について相続人と同一のものとすると定めたにすぎないのであつて、その他の関係においてもすべて相続人と同一に取扱う趣旨でないことは、同法第九百五十二条にいう「利害関係人」の中には受遺者(包括、特定)を含むと解されること、及び同法第九百五十四条、第九百五十七条、第九百五十九条等の各規定に徴して疑いのないところであるからである。しかして、また、遺言書の検認とは遺言書の執行前において遺言書の状態を確認し、後日における偽造若しくは変造を予防しその保存を確実ならしめる目的に出でるものであるから検認の実質は遺言書の形式、態様など専ら遺言の方式に関する一切の事情を調査して遺言書そのものの状態を確定し、その現状を明確にするに在るのであつて、遺言の内容の真否その効力の有無等、遺言の実体上の効果を判断するものではない。つまり検認は遺言執行前における一種の検証手続にすぎないのであつて、その遺言の効力を判定するものではない。従つて、右の遺言書に被告に全財産を贈与する旨の記載があり、且つ、被告がその検認を受けたからといつて、被告が亡池田浜の財産の包括受遺者であることが判明したとはいえないのである。以上の如く、被告の抗弁はすでにその前提において理由のないことが明かであるから、その余の点については判断するまでもなく、失当として排斥を免れない。

二、本訴の本案及び反訴について

(一)  亡池田浜は相続人となるべき直系の卑族、尊族、及び兄弟姉妹並びに配偶者のいない独身者であつたが、昭和二十五年一月七日被告方に同居中死亡したこと、及び東京家庭裁判所が昭和二十五年五月十一日、保管者たる被告の申立により、亡池田浜が昭和二十一年四月三十日自筆証書の形式によつてなした遺言書として乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する遺言書を検認したことは当事者間に争がない。

(二)  原告(反訴被告、以下単に原告と称する)は、本訴につき、その主張の第一として、右の遺言書の全文、日附、及び氏名の各文字(文字といえるかどうかの争点についてはしばらく措く)は亡池田浜が自書したものではないから無効であるというに対し、被告は、右は亡池田浜が昭和二十一年四月三十日左手で自書した有効な自筆証書であると主張するので按ずるに、右の遺言書が作成されたという昭和二十一年四月三十日当時亡池田浜は脳溢血で倒れた一ケ月ばかり後の頃で右側半身不随の状態にあつたことは当事者間に争いがないが、証人五十嵐義明、同又来ミツの各証言及び被告本人の尋問の結果によれば、右の脳溢血は第一回目の軽度のものであつて、その当時右手足の運動機能を喪失してはおつたが、意識もすでに正常に復し、左手で文字を書こうとすれば必ずしも不可能ではなかつたことが明かである。しかしながら、(イ) 鑑定人町田欣一の尋問の結果によれば、右手書きの者が左手でなければ字を書くことができなくなつた場合、従来の右手書きに劣らない字を書こうとする意識が働らく結果、左向きの字を書くということはほとんど有り得ないという事実が明かであるのに、右の遺言書である乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面を検すると、一字を除く全文、日附、及び氏名のすべてが右の経験則に反して左向きの文字で記載されているのであり、(ロ) 同鑑定人の鑑定の結果(鑑定書)によれば、右の遺言書の筆跡は、被告の主張とは逆に、被告が左手で自ずから書き写した書面であることに争いのない甲第四号証の書面(乙第一号証の二と同文)の筆跡と同一人の筆跡であると断定することはできないが、類似の特徴を持つ筆跡であることが認められる。また、(ハ) 亡池田浜には東京都内に居住している従兄弟の訴外池田重雄がいることは当事者間に争いがなく、証人池田重雄の証言及び成立に争いのない甲第一乃至第三号証の各一、二の記載によれば、亡池田浜は訴外池田重雄と生前余り親密な交際があつたものとは認め難いけれども、やはり数少ない近親者の一人として相当の情愛をもつて交誼を重ねていたことを窺い知るのに難くない。右の遺言書たる乙第一号証の二によれば「ヤクソク状」と題し亡池田浜が被告に宛てて「モシヤノトキハバンヂタノム、ザイサンゼンブアゲマス」(若しやのときは万事頼む、財産全部あげます)と左向きの文字で記載しているものと判読できるのであるが、亡池田浜がかような内容の遺言をすることについて右の遺言書が作成されたという昭和二十一年四月三十日以前において一言の相談を受けた事実がなく、その後昭和二十二年から翌二十三年頃にかけて同訴外人は亡池田浜が所有していた別紙目録記載の宅地等の財産税納入問題につき、亡池田浜に代つて申告書を作成提出し、宅地の一部を売却して税金の支払いに当ててやる等相当立ち入つた財政上の問題を処理してやつていたにも拘らず、亡池田浜から死亡するまでの間さような遺言をなしていると告げられた事実がなかつたこと、却つて、昭和二十二年十二月上旬頃同訴外人は来年から民法が改正されるから早く相続人を決めておいた方が良いだろうと申し向けたのに対し、亡池田浜は跡取りを決めておくのは自分が死ぬのを待たれているようだからと云つてむしろそれを嫌うような素振りであつたことがそれぞれ明かである。更に、(ニ) 証人久保寺せきの証言と同又来ミツの証言及び被告本人の尋問の結果の各一部とによれば、亡池田浜は昭和二十年三月十五日戦災で居宅と家財を焼失してしまつたので、植木職人として出入していた被告の好意に従い、翌十六日から被告方に同居するようになり、その後一時別居したことがあつたが再び同居することになつて同年七月から被告の肩書地の居宅に被告と共に落ち着くに至つたのであるがその家屋は階上階下で共に六帖と四帖半の二部屋宛あつて被告等は階上を亡池田浜は階下をそれぞれ分割使用し、亡池田浜は自炊して被告等とは別世帯を持ち家賃は被告と折半していたが電気、水道代は被告等の分をも含めて全額を負担しており、同居の態様は一般の同居人のそれと大差のない関係であつたこと、及び亡池田浜はその所有宅地の地代を不動産会社に依頼して取立てていたが、終戦後同会社がなくなつたため被告にその取立を頼み一割の礼金を支払つていたこと、並びに、亡池田浜は常日頃から被告方に同居していることを気兼ねし、他に適当な移転先を物色していた事実をそれぞれ認めることができる。これ等の事実に徴すると、右の遺言書は少くとも亡池田浜が自書したものではないと推認することができる。

もつとも、被告の提出援用に係る乙第六、第七号証、同第八号証の一、二及び、証人又来ミツ、同五十嵐義明同飯田いち、同津吹仁三九、並びに被告本人は、亡池田浜と被告との生前の交渉の期間程度、及び亡池田浜が右の遺言書を作成して被告に交付するに至つた事情として、(イ) 被告は昭和五年頃から植木職人として亡池田浜方に出入を始め、当初は年に一、二回臨時に庭木の手入に出向く程度であつたが昭和十年頃から専属となり、翌十一年頃からは亡池田浜の信頼を受けて家事の雑用まで手伝うようになり、使走りや墓参の代参などまで引受け、月に四、五回以上も出入し、亡池田浜が戦災に遭うまで右のような関係にあつたこと、(ロ) 亡池田浜は昭和二十年三月十六日から被告方に同居するに至つたが、同居中被告方では野菜を分けてやつたり配給物を受取りに行つてやつたりして単に同居人の域を超えた世話をし、殊に、昭和二十一年四月一日亡池田浜が第一回の脳溢血で倒れた際、当初は意識不明であり十七日間も医師の来診を続けていた状態であつたから被告等一家の者は挙げてその看病に没頭し、ようやく小康を得た後もなお右側半身の機能障碍が残つていたので身の廻りの世話から諸事万端骨肉にも劣らない世話を尽したこと、(ハ) 亡池田浜は被告方に同居するようになつたから、万一のことがあつたらよろしく頼む、財産は全部被告にあげる、と言明していたこと、(ニ) 亡池田浜は病いもようやく快方に向つた昭和二十一年四月三十日被告とその妻を病床に招き、隣りの訴外飯田いち方から借りて来た筆硯で手許にあつた用紙を用い前認定のごとき内容の乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する遺言書を左手で自書し被告に保管を依頼したこと、及び、(ホ) 亡池田浜は昭和二十四年十二月二十七日第二回目の脳溢血で再び倒れたのであるが、その晩、右の遺言書を公正証書の方式による遺言に改めるよう指示したので、翌二十五年一月六日公証人を枕頭に呼んだが、そのときはすでに意識も明瞭でなくなつていたため公正証書を作成することができなかつた事実があると記載し若しくは証言、供述している。しかしながら前掲挙示の各証拠及び前認定の諸事実に対比して考えると、右のような事実をもつてしても、未だ、被告が主張しているように、亡池田浜が昭和二十一年四月三十日その所有に係る別紙物件目録記載の宅地(亡池田浜の所有であつた点は当事者間に争いがない)八筆合計二千二百四十五坪六合四勺(実測二千二百二十四坪六合四勺)その他の財産全部を被告に無償で贈与するとの意思を有し、これを自筆証書の方式による遺言書として作成するため乙第一号証の二の「ヤクソク状」と題する書面を自筆したものと認定するまでの確信に達し得ない次第である。乙第一号証の二の「ヤクソク状」と題する書面には亡池田浜の氏名下に同人の印鑑が押捺されており、この印影は成立に争いのない乙第十号証の記載と対比すれば亡池田浜が生前所有していたと推定されるいわゆる実印による印影であると認め得られるけれども、同書面の作成の事情経緯が右のごとくである本件においては、この一事をもつて乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面の成立が真正なものと推定することはできないし、他に被告のこの点についての主張を維持するに足りる証拠がない。

(三)  以上の説明によつて明かなように、被告が昭和二十五年五月十一日東京家庭裁判所において、亡池田浜が昭和二十一年四月三十日自筆証書の方式によつて為した遺言書であるとして検認を受けた乙第一号証の二の「ヤクソク状」と題する書面は、亡池田浜が自書したものとは認め難く、この点において自筆証書としての方式を欠き、その遺言は無効であることすでに明かであるから、原告が亡池田浜の相続財産の包括受遺者と主張する被告を相手方として、右の遺言の無効なることの確認を求める本訴請求は、他の点について判断するまでもなく、正当としてこれを認容することにする。

(四)  被告は、反訴として、右の遺言が遺言としての効力がないとすれば、このとき被告と亡池田浜との間に書面による死因贈与契約が成立したと主張するのであるが、しかし、亡池田浜が被告に別紙目録記載の宅地八筆合計二千二百四十五坪六合四勺(実測二千二百二十四坪六合四勺)の宅地を含む所有財産全部を贈与する意思があつたことにつき確信に達するまでの証拠がないこと前段において述べたとおりであり、他方、被告本人尋問の結果に徴しても、乙第一号証の二の「ヤクソク状」と題する書面の保管を託されたとする以外に、亡池田浜の死因贈与の申出に対し承諾の意思を明確に表示した事実があつたとは窺い難く、結局被告主張のような死因贈与契約が成立したものとは認められないから、右契約の確認を求める被告の反訴請求は失当として棄却することにする。よつて、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条の規定を適用して、本訴反訴とも被告の負担とし、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤令造 田中宗雄 高橋太郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例